見えない部分をどれだけやってきたか?
一瞬の光のために見えない部分の努力や苦悩の日々がある。そのほうが多いことを知る人は少ない。光があれば闇がある。闇を影と置き換えてもいい。
どれだけ地を這いつくばり涙も流し、向き合い、それでもまた一歩また一歩と立ち上がり誰よりも誰よりもここまでやってきたか?その日々があるから光も与えられる。見えないことをどれだけやってきたか?見えない思いをこめて。それがその作品やその人となりに出る。見えない部分で込めてきた思いが見えないなにかになってそこにのるのだ。見えない部分を見えるようになると日々の生き方まで変わってくる。見えない部分を見えるようになるとは、自身もどれだけ見えない部分をやってきたかにかかっている。目に見える部分や口で言える部分はまやかしでしかない。見えない部分がのっかるからこそ人の心を打つ。なぜだかわからないけど涙が出るとか、浄化されるとか、思い思いの表現であってもそこにはまぎれもなく共通のこころを打つ何かがあることを確信する。見えない部分をどれだけやってきたかはその先の道へと続く。その道をひたすら歩きゆくのは自分自身。見えない部分を一生懸命やらないと道は開けないともいえる。一瞬の光のための影の行い。光を浴びる人を羨ましがる前に自分自身の見えない部分の行いをかえりみましょう。光を浴びている人や作品を見たらなぜ心が打たれるのか?どれだけの思いが込められているのか?その人が歩いてきた見えない部分の道筋を心で感じとれるようになればいいですね。