夜の会食は東京ミットタウンのとある予約の取れないレストランでした。とても洗練の空間だしおいしかった。居心地もよかった。
また月曜日から地方からの生徒さんたちのレッスンがサロンではじまるのでつかのまの休息でした。
人気のお店にはわけがありますよね。メニュー、雰囲気、空間、ホスピタリティー、とすべてが整っている。やはり今の時代食べるも学ぶもすべて共通で哲学があるか?その店、人・・に。と言うこと。
いつも言うことは何でも取り込みたいと思ってあれもできます、これもできます、って看板出す人が多いけど、対極にある哲学を一人が語るのはおかしいと、お客さまのほうが(生徒)不信に思うのは確か。蕎麦が食べたいと思ったらこだわりの手打ちのどうこうのという店を選び、さらに多少高くても・・という心理が働き、決してビニールに入ったどこでも手に入るそばをただゆでてだす蕎麦屋へは行かないし、ましてひとつの店でその両方取り扱いあります、なんてかいてあったらますます行かないですよね。フレンチだってどこの・・だれだれシェフの・・まで求める時代。
花だって同じこと。いろんな認定、作風を学んでも自分の中で消化して私はこれ!と言うものを出せない限りはあれもできます。これもできます・・と言うのは一見幅広くたくさんの人を取り込めるようでいて実際はこの人の哲学は何だろう?と思われてしまうのではないか?と私は思っています。
そういうやりかたで成功している人いるのかしら・・
花を見ればその人がわかる。らしさがわかるってことが大切。
私の後に続く人に私はそういう風にご指導させていただく。今いろんな認定を取りまくっている人が実に多いみたいだけど、哲学、ポリシーを自分がしっかり持たないと人は誰もついてこないし、評価はしてもらえないのでは?学ぶことは大切。でもあれもこれもはいかがなものか?自分の中で消化できないなら考えたほうがいい。そして人生の師と仰ぐ人に出会い、ついていくのも大切。あっちの認定、こっちの認定の数を集め、一方でそういう人生の師にも出会えないなら不幸だ。
レストランを選ぶのも人の自由、レッスンの先生やブーケの店を選ぶのも人の自由、この人のこれをこの人から習いたい、作ってもらいたい、食べたい、サービスを受けたい・・・と思ってもらえる自分の哲学があるのかをうまくいかないと嘆くまえに客観的に観察をしてみましょう。このブログを読んでいるどんな職種の人にもおそらく当てはまる話。自分をえらんでもらえる哲学、つまりは自分の生き様を他人になって自分を観察してみましょう。
と、予約の取れないレストランに入れて、いろいろ楽しいおいしい意外に、こんな勉強もしてみたのでした。納得。