標題に入るその前に・・・本日の出来事からね

本部認定講師で三越の助手をしてくれていて3月に赤ちゃんを産んだすみさんがサロンにきました。産後まだ2か月だけどレッスンにきました。少しの間おかあさまにあづけてリフレッシュもかね・・・
1歳くらいになったら本格的にまた復帰もしたいとのことです。パリコレもお手伝いに同行したり、彼女のウエディングも私がブーケもドレスもコーディネートしたり、KAORUKOではかれこれ7〜8年?頑張っていましたから育児とも両立させながら頑張る道を探りたいそうです。最近こういう女性が増えています。
頑張ってほしいものです。私も経験上、密室の中でなれない育児をしていると滅入ることもありますが、こうした自分の時間を少しでもたまにもてると、ただいま〜と帰宅した時の子供がなおさら可愛く感じられたものです。
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≪なぜしかえしをしなかったか?について≫
先日の大阪寿司屋での質問です。

一言でよく世間でもいうことは同じ土俵にのるな・・仕返しをするということは同じ土俵にのるということだから、相手と同等になるから低レベルで戦うなということがよく言われます。
それはごもっともなこと。それは大前提にあります。
がわたしは自分がたくさん体験してきた中で自分に言い聞かせてきたことは以下。

私が駆け出しの数年間はいただくチャンスや露出とともにたくさんのそういう目にもあってきた。今は全くなくなりました。以下はそのころから今に至るまでの心のお話です。

私はいつもどんな時でも相手はなぜそんな意地悪をするのか?なぜ卑怯卑劣な手段にでるのか?
ということのその人の心はどうしてそうなのか・その人がターゲットの自分をどうおもっているのか?なにがむかつくのか?
を考えます。そうすると、自分のことでもなるほどそうかもしれないというような第3者的に見た自分の未熟さ加減がわかったりしてだから気に食わない、とかだから足をひっぱってやろう、とか感じるのだなぁ・・つまり私に
そう感じさせる部分があるという原因と、実力もないのにと思わせるあいまいな実力でしかないということを見つめました。なのに抜擢、チャンス、などを手に入れて見えるからおもしろくないのか?と。(私が影でどれほどのつらい苦しみと向き合いながら涙の日々を努力をしているのかを知る由も想像すらもないであろうに)
であれば、あいまいな実力ではなく私がもっともっともっと努力して、自分なりの高みを目指すこと・・それしか解決策はない。コツコツコツコツと努力して結果をだすしかないんだと。
誰が見ても「あの人は違う」「あの人は別格」「あの人はこれが凄い」というような実力を兼ね備えれば。実力とは自分で言って伝えるものではなく、他人が判断すること。その人たちが私について面白くないとか、足を引っ張ろうとかに労力を費やしている時間とは、そこにとらわれているということ。自分はとらわれることなく、そこにとどまることなく、(そこで一生ねちねちやっていてください。わたしはあそこまで行きます)と今より高みをめざしてひたすら何にもとらわれることなく自分の心だけを見つめ自分の目の前にあることだけを向き合うことにしただけ。
気にする、仕返しをするということは、そこにとらわれている証明となり無駄な労力を使うことになる。
そんなころ【最高の復讐とは成功する事】とある雑誌でどこかの民族の教えにあると読んだ。
相手をどうにかするのではなく、もう足の引っ張りようもない高みに自分が自分で努力してのぼりつめれば手も届かなくなるだろう。
その雑誌の言葉にもその時衝撃を受けたがその言葉の本当の意味を僭越ながら自分なりに感じたのはしばらくたってからだ。
無心でコツコツコツコツ前だけをみて精進していれば外野の声も聞こえず、見えなく、それは気にならなくなる。さらに
その境地で進んでいくと、いつしか数段高い位置で頑張っている自分に出会え、仕事もとりまく人間関係も同等に高みにいる素晴らしい出会いが待っているということを知る。そのころは心も少しは磨かれている。
仕返しなどという気持ちより、【そのおかげでここまで私はがんばって登ってくることができた。むしろ感謝だわ】と感じることができる自分に成長している。
仕返しどころか心の底から赦す(ゆるす)思いがわいてくる。イヤゆるすというより、もう気にならなくなり、【あんなこともあったわね】と自分の中で解決ができて受け入れる自分がいたのだった。過去だけはなく、その人が目の前にまだかかわらなくてはならない存在としているとしても、ゆるし、受け入れることができる自分になるのだ。苦しく苦しくにがくつらい道を自分の心と向き合い、孤独ともむきあった果てにたどりついたことだった。
そういう実体験を経てたどりついた境地。

達観できる自分・・・乗り越えて受け入れることになんのためらいもなく「あの人も必死だったのよね。。きっと」などと慮る自分がいることに気がつく。

そしてさらに今ではそういうことは気にならなくなる。自分が自分として頑張ればいいことだから。と。

その民族のことばの意味はきっと、成功してうらやましがらせようという浅はかな軽い意味ではなく、成功といわれるようなそのころには、そこに至るまでの心の成長と実力が両輪となり人間的にも優れた人になっているという意味でもはや復讐の気持ちも消えうせるということで消えるということは完結するということなのだと思う。

と。私もだまだ途上ですが、少なくとも15年前と今の自分を比べるとこんな自分になれましたのです。



*ただし、名誉棄損に当たるような内容についてはきちっと反論することは大切。誹謗中傷か名誉棄損にあたるのかをみきわめないとね。