持病の心臓病の定期健診に昨日おとといといってきました。そう、私は、病弱なのです。なーんてね。これは実は事実です。
私の著書には度々出てくるのですが、8歳のときにある子供の病気にかかり、数ヶ月入院をしました。その病気は完治したのですが、後遺症として、心臓の病気を併発しました。でも通常生活は、普通にしていていいし、自覚症状もさほどありません。なので、ダイエットはしなくては心臓のためには、良くないんですが、無理なダイエットや、過激な運動もまた、してはならないという矛盾をかかえて。そのほかにもこれが原因で誘発された病気で目の視界が少し欠損したりとか・・既往症のデパートな私。通常生活は元気元気ですけどね。
上手に自分の体とお付き合いをしていくしかありません。普通の健常な人以上にかなり無理なハードな生活をしているわけです。仕事は趣味から始まった大好きなジャンルだから、寝る間を惜しんでスケジュールを入れても苦にならない。体が危険信号を出すまでは、不眠不休で続けてしまう私。危険を感じたときに、たまにほんのたまに、ホテルにお籠もりして、眠り姫になるほかは。。。後は海外で、神経回路と携帯を遮断するとき意外は!。

こうして、きっと私は「生き急いでいる」のかもしれません。人生は一度。今はもう戻らない。時は、終幕へと刻まれている。後悔しない人生。
いつぽっくりかもわからないし(医者は全く大丈夫まだまだと言う)それは誰でもいえることだけど。今でも鮮明に蘇るあの頃のひとこまが私に独自の人生感を植えつけているのかもしれません。
病室のベッドでいっしょに遊んでいた同じ入院患者の友達があるひ突然いなくなる。深夜病棟中に響きわたる、両親の叫び声と嗚咽・・・なぜ短い人生を終えなくてはならないのだろう?何のために生まれてきたのだろう
?あの子は今星になったのか?天国の神様のところにいるのだろうか?
神様はどうして命を助けてくれなかったのだろう?深い闇に包まれた病室で、私はいつも思うのでした。そして、私はなぜこの病気になったのだろう?意味はなんだろう?生まれてきて、もし私が永らえさせてもらえるのなら、その使命はなんなのだろう?
こんなことを考えざるを得ないそんな少女期を過ごしていました。
魂はどこから来てどこに行くのだろう?
私が回復して退院するまで、小児病棟で何人もの子供たちが旅たつのを傍らで感じて、私は何時も何時もこんなことを考えていました。。自然とスピリチュアルな方面に興味がいき、霊的体験や、オーラ、直感、不思議なめぐり合わせ、必然という出来事、などなど自分も体感しながら、人生の意味、生きる意味、起こる出来事の意味を自分なりに解釈して今に至っています。使命があるはずだからまだまだ死ぬわけないと自分を励まして。
今日はひさびさにこんな事を語ってしまいました。