大好きなこぶしの花が咲き出しました。一斉に春がやってきます。本当に美しい。デモ私のブーケに似ているといつも感じます。今からの季節のこぶしや桜が風に揺
れるさまを今年は是非みなさま、じっくりご覧ください。KAORUKOのブーケと似ています。

隣にある青いプリザーブドのゆれるブーケドレスにあわせてディスプレーをしているのは木更津のアトリエです。

そしてこちらは三越本店のレッスンです。プリザーブドフラワーと生花と贅沢なレッスンでした。一気に。
「かわいい」「かわいい」と皆さん喜んでいました。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
KAORUKO幸せを呼ぶ法則メッセージ」を時たま発進していきますね。。。まずは以下。

「良かれと思ってやったことで・・・」という以下のご質問がコメントに来ました。多くの人も同じ経験があるかも知れないので私の考えを書いてみます。

《ご質問》
よかれと思ってやったことでも、時にその事で傷つく人がいたり、曲回されてまるで意図が伝わらず、それまで繋がっていたはすが、プッツリ、断ち切れてしまうことも起こってしまうことがある・・・みたい・・・もともとの大きな原因は、自分とはまるで価値観や世界観が違う、そういうことのような気がしていますが、先生にはそういった経験おありではないでしょうか


《私の考え》
私は【「良かれと思って・・・」という言葉は世の中にないと思え】と思っています。スタッフにもそう指導します。
その言葉は実は自己主張自己陶酔に近いものがあり、理解されるという前提で発進しているわけで実はエゴの押し付けなのです。
人は自分でそれが良いと思えば選択するし選択するもしないも自分の自由意思に任せるのが一番。そうすれば万が一それが失敗でも自分で自分だけが後悔すればいいこと。だから人にお勧めしたりすることはあっても「良かれと思って」という気持ちを持っている限りは自分主体になっていて、自分の自己満足でもある。相手にとってそれはベストなのかベターなのかもはたまた必要ないのかもこちらが決めて押し付けることではない。。」あくまで自分次第、選ぶのも捨てるのも自分次第。(つまり相手ね)
「良かれと思って」という言葉を自分の心から消して生きていけば、「わかってもらえない」とか「迷惑がられて断ち切られた」という悲しい思いはしないで済みます。
価値観が違うのかも知れないとご自分で分析されているように、そのとうり人はそれぞれなのだからあなたがよいと思っても相手は良いとは思わないかもしれないのだから。

私の場合はまったくの関係ない人には自分の意見として語ることはあっても一切いいとか悪いとかをお勧めはしない。 
でも
たとえばこのブログでも書くような同じ志をもってKAORUKOに集う分身的存在の人たちにもチャンスは平等に投げたり、私の経験からつかんだほうがいいよと思うことも、それさえも  あくまで私の考えや感想として言ったり書いたりするけど、それを「そのとうりだ」と思ってつかむかどうかはその人次第。「良かれと思って」・・・ということはその先を押し付けていませんか?その先を言動するかしないか?の違いではないでしょうか?
「私はよいと思う、だから熱く語る」それは誰も被害は無いでしょう。デモそれ以上を言動する・・良かれと思って・・。
しつこくしつこく自分がいかにいいと思うからあなたにとってもいいはずと。そこを辞めればもっと人間関係が楽になりますよ。

そして、その人のためだと思ってやって差し上げる言動も「自分がやりたいからやる。相手のためではなく自分のため。。」と思えば理解されるとかされないとか関係なく穏やかな心を保つことができるでしょう。
すべては個と個なんだから。