イタリアが呼んでいた。

イタリアに行かなくちゃとおもったのはKAORUKOハウスの展開がきまった時。

あまりに不思議な急展開で南青山4丁目に立つ世界的建造物でもあるイタリア建築のこのハウスに私が入ることになった時。

運命は時に予測不可能な展開を与える。
そういう時こそ意味があり、なぜ自分がそのご縁とつながったのかを探る必要に駆られるのだ。

KAORUKOハウスと今は呼んでいるハウスはイタリアを代表する建築家アルドロッシ氏の建築による建物だ。アズールブルーの壁やエントランスを包み込むようなアーチ型の柱。総大理石の中にポイントとして埋め込まれている3Dの配色のモザイクや切り取られて埋め込まれた大理石。
建築界のノーベル賞と言われているプリツカー賞を取ったことで知られ、日本で言えば安藤忠雄が受賞しているらしい。

KAORUKOハウスのイタリア建築は今でも世界中から観光客が見せてほしいとやってくる。
そんな有名な世界的建造物である建物にKAORUKOという名前を冠して私のライフワークを始めるという展開にあたり、私はこの建築家に敬意をはらう意味や、ここに入りここの良さの売りを魂のレベルで伝えていくにはもっとイタリアを知らないとならないと半ば焦りにも似た気持ちを抱えながら今年の一月私はKAORUKOハウスにやってきた。

そんな気持ちからイタリアイタリア・・・・・と心に描いていたら、不思議なことにアルマーニとのご縁もやってきた。
いよいよイタリアに行かなければならない理由が重なった。
「イタリアが呼んでいる」

私はいつも仕事を任された時その国を知るところから始める。ウエディングではその人(カップル)の生きてきた歴史や魂を知るところから始めるように。
フラワープロデュースをするにあたり知らなくてはならない、これは私の流儀。

タイユバンロブションのフラワーデザインをまかされた時もパリのシャンゼリゼの裏通りに古くからある本店に行き食事をしてみないことには始まらないとパリに飛んだ。パリコレの担当がきまった時もパリに滞在し街を歩いてみた。
モナコのショーの時もモナコへすぐさまとんで紺碧のコートダジュールに身を置いてみた。

その土地を知り食文化を知り街を歩き、風を感じ、においを知る。
その土地の水を飲み身を置き、日々の暮らしを知り、歴史をひも解いてみる。

そんな私の挑戦がイタリアでも始まろうとしていた。イタリアは1998年にローマオートクチュールコレクションを日本人初フラワーデザイナーとして手掛けた時以来だった。
KAORUKOになるまえの序章のころだ。あれから12年。


今回突き動かされるように来たのはミラノとベネツィア。アルマーニはミラノだからだ。
そしてアルドロッシもミラノ出身だと知って驚いた。ミラノに来ないとならない意味がこれでもかとやってきた。
そしてベネツィア。友達が誘ってくれたから行ってみようかと思いたったベネツィアへの旅。

アルドロッシはここベネツィアとも深い縁で暮らしていたということを知って身が震えた。

何故私がベネツィアに急に向かったか?その答えは着いてから知ったことだ。
彼は2年に一度のベネツィアビエンナーレの建築部門のプロデューサーをしていたそうだ。
芸術の国際レベルの戦いのベネツィアビエンナーレ。ベネツィア国際映画祭もこれに当たる、この映画部門だそうだ。


アルドロッシ氏が66歳で急死する前に手掛けたハウスにKAORUKOの名を冠したことはきっとアルドロッシはKAORUKOがどんな存在かを天から観察しているに違いない。

私もこのハウスを使わせていただくにあたり彼の思いをもっと感じ、彼がどう使ってほしいのか?を知らなければならない。
感じること。もっと感じること。それがアルドロッシ氏への礼を尽くすことになる。


彼の存在したベネツィアの街にそびえたつ幾つもの歴史的建造物の中にも身を置き彼も来て参考にしたに違いないと感じる多くのイタリアの古典的建築というものを感じてみた。
足が棒になるくらい歩きまわりベネツィアの街と一体化となるように時空を貫きアルドロッシ氏がそこにいるかのように感じてみた。

彼の思いの詰まったアーキテクチャであるKAORUKOハウスは彼のエナジーが今もみなぎっているにちがいない。

私がミラノとベネツィアに来た理由がこれで解けたのだった。